「草や木のように生きられたら」に書かれているお坊さんの話
禅僧として出家した方の話
修行に夢中になっているため、百姓さんのように一粒の米を生産することもできない
だから、一握りの米を頂戴し生き永らえさしてもらっている。
好き勝手の人生を生きているのだから、米をいただけなくなったら
誰を恨むこともなく心静かに餓死すればいい
そんな生き方をしているからこそ、妻は養えない。
仏道修行が女性を近づけないのは、性欲を禁ずるとかがどうのではなくて
物理的に無理なのだと
まとめましたが「食えなんだら食うな」関大徹からの引用らしいです。
これでなんで女性を近づけないのかがわかった。
こんなこと教えてもらったことがなかったわ。