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備忘録

昔といまの地形を見れるサイト

https://sv53.wadax.ne.jp/~ktgis-net/kjmapw/index.html

国土地理院のちず

「情報」→「ベクトルタイル提供実験」→「地形分類(自然地形)」にすると
土地の成り立ち、自然災害リスク、土地の液状化のリスクが細かくのってるのと
高いところ低いところ、昔の河川とかひと目でわかるようになってる

https://maps.gsi.go.jp/#5/36.104611/140.084556/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

今と流れ

この頃何度も行き来している思考

・今を生きること
・流れに身を任せること

読んでた本に書いてた
禁酒ができない人が禁酒を出来た話

今我慢すればいい、先のことは考えない
先のことを考えるからどうしたらいい、こうしたらいいとあーだこーだとなる

今、酒がやめたいのなら今はやめておこう
これの繰り返しだけを行ってお酒をやめはった

未来は今の積み重ねで、積み重ねたら過去になる。

でだ!
今を生きるには、流れに身を任せないと無理なのね
そこには気づいている。

例えばイラッとすることがある、それの反射で思考を使って考えると
思考から導く答えは自分の経験からしか導けないから
その時点で答えはきまったようなもので、過去の辞書から引っ張ってくるだけ

イラッとしても、考えずに身を任せるとその辞書はつかわないから
今までと違う行動を起こせる。

そういうふうにして、記憶の辞書を使わない習慣を続けていると
心や魂がこれはこうしたい!って思考の外から
降ってくる時、ものがある。

それに身を任したときに、安心と満足・充足なんともいえない気分になる。
ただ、ひたすらそれを続けるだけでいい

のに、考えてしまうのよね
ここからは練習しかない

「草や木のように生きられたら」お坊さんの話

「草や木のように生きられたら」に書かれているお坊さんの話

禅僧として出家した方の話
修行に夢中になっているため、百姓さんのように一粒の米を生産することもできない
だから、一握りの米を頂戴し生き永らえさしてもらっている。

好き勝手の人生を生きているのだから、米をいただけなくなったら
誰を恨むこともなく心静かに餓死すればいい

そんな生き方をしているからこそ、妻は養えない。
仏道修行が女性を近づけないのは、性欲を禁ずるとかがどうのではなくて
物理的に無理なのだと

まとめましたが「食えなんだら食うな」関大徹からの引用らしいです。

これでなんで女性を近づけないのかがわかった。
こんなこと教えてもらったことがなかったわ。

焼酎と本

この前の日曜日

関西かごしまファンデーで酒造の会長からゲットした焼酎と
さんまさんの師匠、松之助さんの本「草や木のように生きられたら」です

焼酎は、ブースで酔っ払ってた会長に声をかけられて、ちいさいカップにこぼしながら入れてくれた焼酎です。
甘いし、芋っぽいし、優しい。おいしいですわ

「草や木のように生きられたら」は、
350ページで今90ページほど、さすが落語家さん文章が楽しくてすごく吸い込まれます。
昨日布団の中で読んでたら、これはヤバイ!寝れなくなる!ってなって本を閉じたけど
1時間くらい楽しくてねれなかった。

83ページにある、お坊さんの話・・・これは次に。。

決めました!

めちゃくちゃ久しぶりの更新な気分です。

さて、決めました!

「世の中を変えるために生きていく」

ことに決めました!

年末から、ずーっと余計なことに振り回されているなと感じてて
振り回されないためには、「決めて生きていきたい」と心の中で思っていたけど、
何を決めたら、どうを決めたらいいのか、迷っていました。
で、ある方のアドバイスで決めました。

で、
「世の中を変えるために生きていく」
そう決めると

「世の中をどう変えるのか」
となるので
「良い方向になるよう世の中を変えていく」

ほな「良い方向」って?
「みんなが気持ちよく生きていける世の中に」

ほな「どうやって?」
「とりあえず目の前のことはすぐに進め、実践しつつ大きな目標も立てる」
ことまで決めました。

あとは流れのままに~
一人では絶対にできないので、たくさんの人に会い、力を貸してもらい、貸すこともして
大きな輪にしていきます。
人と地球に愛をもって。。。

ドンピシャ

多分、今後当たり前になってしまうから
自分への備忘録

昨日みたアドラーの言葉
「われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定する。
人は過去に起こった膨大な出来事のなかから、いまの「目的」に合致する出来事だけを選択し、意味づけをほどこし、自らの記憶としている。逆にいうと、いまの「目的」に反する出来事は消去するのです。」

導き出せる過去の情報も
今考えていることも、入って来る情報も
今までとは完全に流れが違う

子供のころから、青年のころから、社会人になってからも
人として為してる人を見て、俺そっちいけるはずやのになんでこんな感じなんやろう~って
違和感がずーっとつきまとっていた。
何がちゃうんや!どーしたらいいんや!って

経験、気付き、運命、血、何がそうさせたのか、一度考えてみなければいけないけど
いまのところの答えは「年齢」

昔60とかでこうなるのかと思ってたから、早くこの状態になってるけど、
何もかもがドンピシャで流れてきてるのがわかった。
もう多分、水が上流から下流に流れるように進んで行くだけ。

ただ、水は本当に上流から下流に流れるという事実もいつか変わるかもしれないと
いつも思っている。

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覚えて起きたいから、以下全引用、まるぱくり

http://weekly.hatenablog.com/entry/2018/11/09/193000_12

「自然に身体が動き出す」ようなタイミングです。
次にどこに行くべきか、何をするべきか、
ということが、さくさく見えてきます。
この時期は不思議と、
「大きな地図の上で最終目的地を決め、
そこに向かって小さなルートを決めて行く」
という段取りにはならないかもしれません。
すごろくのように、
まずは「次のマス」に立ってみるまで、
その先に進むべきマスは、わからないのです。

小さな直観で見通しを立て、
飛び石をつたっていくように、
一歩一歩、先に進んでいけます。
でも、この「一歩一歩」は、決して
「ゆっくりじっくり」ではありません。
エネルギーとスピード感に溢れる「ステップバイステップ」が
この時期のあなたの動きの、面白い特徴です。

過去から「贈られるもの」も多いようです。
懐かしい人や場所、記憶の中に眠っていたことなどが
あなたに素敵な贈り物を授けてくれて、そこからさらに
未来へのステップが示される
といったことも起こるかもしれません。

自分

「人を救うのは死んでからでもできるが、自分を救うのは生きてる間しかできない」

らしい。

あと、見た目がなんか気持ち悪いと思ってたら案の定肥えてた。。。

「ありがとう」と「ごめんなさい」

電車移動中で読む本がないな~と思い、本棚から

桜井章一さんの「負けない技術」を取り出してみた。

未熟者なりに、日々どう生きていくのか模索しながら進んでいるけど
気づきが多ければ多いほど、桜井さんの本は理解が深まっていく・・・。

人間関係を間合いと表現し
間合い、間に合う、時間を守る、という流れになっていくんやけど
ことさら桜井さんは、自分が自分にした約束を守ることが大事だと。

で、自分がした約束を守れたら自分に感謝し
自分自分に「ありがとう」
約束を破れば、自分を叱り
自分自信に「ごめんなさい」
とすればいいと書いてあった。

ほんまに目からウロコになったわ。。。

どこでもよくある話、自己肯定や自分を愛せてないこと。俺もそう。
自分で両手で肩を抱きしめて、〇〇(自分の名前)愛してると寝る前に言えばいいって教えてもらったけど
なんか違うかった。
この行為はただ漠然と「私は私を愛しているよ~」という行為なので、重症のときは聞くんだけど
少し落ち着いてくると、なんか違うな~って思ってた。

日々の生活の中で「出来てあたりまえ、出来なければダメという価値観。」
出来て感謝せず、出来なければ叱りっぱなし

これがあかんかったんやね。

出来て当たり前とせず、感謝し「ありがとう」と伝える。
約束を破れば自分を叱る、でも、ちゃんと「ごめんなさい」と終わらせる。

他者と合わせ過ぎてて、自分を大事にするということ
ある意味ちゃんと自分を外から見るということの
単純な行為が出来てなかった。

試しに1日これしてみたら
感謝することで気分がよくて、叱られてもちゃんと「ごめんなさい」といえることで
次につながる感じがする。

これ、「ごめんなさい」がええね、
ごめんな~とか軽くいうても、
自分は自分の事知ってるせいで、だいぶちゃんと叱ってるから
ちゃんと「ごめんなさい」と言わないと
叱ってるほうもスッキリせーへん。
謝る方も本気であやまるから、次気をつける感じになる。

これは続けてみよう
そしたら、また何か気づく力の源になるね!
楽しみだ!

ゆらぎ

ゆらぎが大事とこの頃よく聞く

主にからだのことで、整体師さんと関わることが多くなって良く耳にする。
物事の真髄はこれであると・・。
今心のうごきについてこれはすごく感じる。

大事な相手にイラッとする

反省してちょっと気をつける。

マイナスからプラスにいってるって感じで
これまた逆になる。

気をつけてたら、それはそれでまたイラッとして繰り返す。
自分がゆらされることで、どこがいいところ(イラッとしない、やさしくおれるとこ)なのかを
調整しつづけているんだろうと。

そして、最後はまわりの反射でイラッとしない自分になるんだろうと

お年寄りとかはそういうことを繰り返して、優しくなっていくんだろうなと実感する。
本質的にやさしくなりたい、やさしくあろうとする人はだろうけども

調整がおわると、軸がきまり、自分が決めた軸となる。
陽にむかって傾く植木のように。

土壌が固まっていないといくら、自分が向かいたいと思う
陽に向かっても軸がきまらんって感じやね

そして、それがすべての真髄なのだと

スロットを打ちに行きます。
負けたくないとなるあまり、負けることにとらわれる。
振り子が基本マイナス位置を中心として動いているのでそういうことになるんだろうと

金、生活、負けること、にとらわれると
スロットに向き合うということに対しての土壌がグラグラで軸がまけるほうにいる。
土壌をかため、自分が向きたい、幸せとおもう方向をむく
そっちにむいてても、風がふけば揺れて、マイナスになることもあるが
基本プラスに向いている限り、トータルでプラスになるということ

答え

今日キネシオロジーの人と話してて、ゆうてたことがすごい記憶に残った

「キネシオロジーで自分のすべての答えを求め、キネシオロジーが全てになるの違うんやと思う」

そのあと話したことで、同じ考えでいるな~って思ったことがある。

どんな道具や摩訶不思議な技術をもったとしても、それに依存することなく
その時その時で、自分が出した答えが自分にとってその時一番の選択だったと思えることが大事やね。