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出雲大社の帰りの車での話

◯大前提:不快という感覚は、本来「死」を回避するための恐怖のような感覚であり、一般社会で生きている上では、命に関わることがほとんどないので本来感じる必要がない。

例:鳩が「命の危険=不快」と思ったときに「本能のまま」距離を取り、ある一定の距離になった瞬間、緊張を解くように、命に関わる事以外は「不快」という反応を示さなくて良い。なんなら、驚かした程度では「命の危険=不快」がないと判断し、気にしない鳩もいる。「不快」とは本来そういうものである。

1,思考という名の辞書
人の場合、「押し付けられた教育」「嫌な思い出」「トラウマにしてしまった記憶」「TPOに合わせた社会性」などなど、自分の中に過去の経験から「思考という名の辞書」を作り上げ、本能のままの「不快=命の危険がある」ものを「不快=思考の上で気分が嫌なもの」としてしまっている。

(同様に、本来「命の危険=不快」であるにもかかわらず、「快」の「辞書」を作り上げ「快=思考の上で気分が楽なもの」として考えて「命の危険」を犯すことがある。)

そうなると、本来、命の危険がない出来事であっても、嫌な経験はすべて「不快」な出来事としてしまう。

2、過去と未来の関係性

「過去が未来を作っているのではなく、未来がやってくると考える。」と、りょうすけさんは言うたけど、「過去・未来」論は様々あり、どの論点のことを言ってるのかさっぱりわからず、意味がわからない、腑に落ちないと聞き直すと
「これは理解するのではなく、そういうものである。」と。

その後、話してて次のように理解しました。

なぜ未来がやってくるのか。
嫌な気持ちになる何かが起きた時、そのことをクリア・解消せずに先送りにすることで、再度同じような出来事が起きる。

ちょっとここで、なぜ僕がりょうすけさんとこの話しをすることになったかを書きます。
スピリチュアルと呼ばれる経験の中から、少しずつ自分を理解し、一つ一つ紐をほどくように、自分とうまく付き合えていたところでとても嫌な気持ちになることがありました。
それは本当にとてもドロドロとしていて「こいつには負けたくない、こいつより上に立ちたい、押さえつけたい、俺がこいつより前になって周りへの悪い影響を止めなければ!」となってしまい、普段しなくてよくなった背伸びをして、いい格好をしよう、俺のほうがお前より強いんだ!という気持ちで言葉を発してしまい。
後になり、なぜこんな風に対応してしまったんだろうと、自問自答していました。

1度目は勉強会での発言者に対し、
2度目は仕事の打ち合わせしていた人に対し、

1度目は自分が間違っていないと思っていた。
2度目は「ん?これは何かがおかしいぞ!なんでこんなことになってるんや。」と感じ、その後、りょうすけさんと話した時にこれか!となったわけです。

勉強会の時に、クリア・解消しないまま、というかその時は問題であることも気づいてもなかったので、次の打ち合わせで同じような未来がやってきたんです。

今現在、手元に飛んできたボールを気付かずに未来に放り投げていたんです、未来はまるでベルトコンベアの用に、今の自分に対して、出来事というボールを運んでくるだけ・・・。

勉強会の時、クリア・解消していれば、もう同じような気持ちになることもなくなり、打ち合わせでの嫌な気持ちになったり、自分が無理をする・本当の自分でないことをしなくて済んだんだって・・・。

3,イライラキャッチボール
ボールの話から、キャッチボールの話がちょっとだけ出てました。
お互い100%出せる同士のイライラキャッチボールなら、しっかりと不快であることを言い合って、100%が90%となりどんどん減らして行けるそうです。
そうか!そうか!相手はそう思ってたんやなっていう感じで、本気で喧嘩したら逆に仲良くなる。そんな感じやなーと。

でも、よほどタイミングがいい時でないと、家族やパートナー・親友ですらそんな風になれる時って少ないのに、ましてや、その他の人たちとぶつけ合うなんて出来ひんなーと。

4、どうなれば、どうしたらいいのか。
ほとんどの場合、普段感じている「不快」はぶつけ合うことなど出来なくて、「思考という名の辞書」を使い、未来の自分に投げつけてしまっている。

なので、これを止めなければいつまで経っても変わらない。
クリア・解消することを意識していけば、「不快=思考の上で気分が嫌なもの」が減っていき「快」が大多数を占めていく。

りょうすけさん曰く
「命に関わらない不快を感じた時、深呼吸をする、そして呼吸に合わせて頭の中でスーーーッハーーーって文字にして考えて、一度思考を止める。
そして、今起きていることは命に関わることなのか自問自答する。
そうでないと判断したら、笑顔を作る。それを繰り返す。」

この「笑顔作る」はりょうすけさんパターンであって、みんなそれぞれ合うものを見つけてくれたらいいと、見つけるのが難しかったらチョコレート食べたり、好きな匂い嗅ぐのでもいいって言ってました。
また、「そうしたら不快は消えるの?」って聞いたら
「消えることはなくて、上書きや上塗りに近い感じ、社会性の辞書がいる時もあるので、他の選択肢としてもっておくことが必要。」
と言うてました。

たぶん、命に関わらない「不快」の辞書はいらない、すべてを「快」にすればええって話やなーと

5、最後に
1度目は勉強会では気付かなかった。
2度目は仕事の打ち合わせでは気が付いた。

この自分の変化の過程を見ていて・・・・
最初に、自分の中にある善・悪や男・女や陰・陽も含め「ゆらぎ」を見つめることが出来たこと、「気づき」与えてもらい、「ゆらぎ」があっていいんやでーって知れたこと。

それが少しずつ身につくと、自分の中の「ゆらぎ」でええことと、自分が未来に投げてしまっていたこと、つまり、自分の中の事と他者との関係性の事との切り分けがはっきりと目の前にあらわれました。

色んな自己啓発本や偉い人が
「周りを変えるのではなくて、自分が変わる、自分が変われば世界が変わる」
と、簡単にいうてて意味がわからんかったけど、理解というか、腑に落ちました。
これが本当の「周りを変えるのではなくて、自分が変わる、自分が変われば世界が変わる」
ということなんだろうと・・・。

そして、それを知るには、自分を知ることがスタートやったんやなーと。

あとは日々実践あるのみ!

以上、長文しつれいしました。

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