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ジャッジとはなんぞや

ジャッジをしない!と、言われたんやけど、何か腑に落ちない。

昔、
・ボーっと道歩いてて、今にもぶつかってきそうな人
・まわりに気づかず迷惑ばっか書けてる人
書き出したらキリがないくらい
そういう人を下に見て、
そうしてる人をダメなやつと決めて、自分もそうしないならないように生きてきた。

こういうのがジャッジらしい、
・良し悪しをきめ
・上下関係を作り
・金があるなしとか
・かっこいい、かっこわるいとか
自分がそう他人をみるから、自分もみられていると決めて
こうあるべき、こうすべきと自分をどんどん「生きづらく」していく。

ふむ、書いてみてよくわかる、半端ないくらいやってきた。
まだまだある、少しづつ気づいて辞め、気づいては辞め、繰り返し中

人混みやスマフォ触ってるひともイライラせん。
でも、自分はしない。まわりに人がいたら迷惑になるので立ち止まってスマフォ触ってみたりする。
人がしてるのはどうでもよくて、俺はしない。
みんな気持ちええのが嬉しいから、気持ち悪い感情をあげたくないから。

飲んでて、キツめのことを言うた。
相手の動きを止め、泣かせた。

周りの人が、まさあつジャッジしたらあかんでーっと言うてた。
俺はその相手をよく知ってる。俺なりの理解と感じるものがあるので、それはジャッジやなく直感でいうてるだけ。

いや違うのかな、こういう人やと決めつけてるのか・・・。
ジャッジするなとジャッジされてる感もある・・・。

みんなの正義があって、みんなの感覚がある。ジャッジとはなんぞや。

言靈は気持ちが入ってないと意味がないのは昔から知ってたから、ありがとうは心と声をしっかり言うようにしてきた。
上っ面の感謝も謝罪もいらない。意味が無いから。

死んだおばあちゃんからの言葉を聞いた
「好きにいきたらええよ」
「全部言うたらええ」
「思ったらいうたらええ」

俺が俺のまま、世の中を気にしなくて生きるなら、言うしやるし。
ジャッジがわからんのなら、そのまま進んで、腑に落ちるようにする。

ジャッジはいかんのはわかる、息苦しいから。
でも、ジャッジしたらあかんってジャッジしてくるのもあかんちゃうか。
それすらも人それぞれの感じ方でしょ。

名前

言靈ヒーリングのあきおさんことあっきぃさんに色々聞いて見た。
覚えている範囲だけやけど

まさあつ
ま・・・間とか
さ・・・差
あ・・・宇宙のエネルギーを集める言葉
つ・・・津

まさあのすべてが母音「あ」なので、エネルギーがいっぱいとどく
いろんなこと間や差をつけてエネルギーを流す
つは津(港)のようにその流れをつかって、人を集める

ものすごく愛に溢れるので、うまく間、差に流し、津をつくっていければ良し
作れない場合は、流れがとてもわるくなる

そんな感じのメモ

からだ

多分ここ2ヶ月位か・・。
いや、いつからやったか、もう覚えてない・・。
布団に入ったら3秒で寝るのに、寝れない。
あしむずむず病がでたり、夜に何度もおきる。

しまいには、落ち込みが酷くて、嫁に「やばいかも!」ってサインを送った。
そんな日に、なんでそうなってたか腑に落ちることがあり、一気に解放。。。

原因は俺の分は俺にしっかりあってそれはええねんけど、相手に伝えておいたほうがええんやないかと悩んでた。
で、ここに書いてたら思った。うん、悩むことやなかったな。
言えばよかったw

数日、あなたにはええもんがあるのに、大したもんでもない俺を羨んだりしてもしゃーない
普通に「可哀想やなー」って思った。
また、救えなかったかもw

カンニングしてて答えが見えて高得点とっても、
ちゃんと勉強して苦労した人が点取れないほうが
よっぽど経験としての値打ちがあるって話や。
それがわかるまでの過程やったな。

で、まったく同じタイミングで同じような話を聞いた。
・どんと構えておく
・仕事を確立する
・じぶんを持つ

自分を探し求めすぎると、高見を目指す思いが強すぎると、周りが高くみえてしまう。本質が見えずによくないものでも信じてしまうことがある。
高みは成っていくものであって、すぐになるものではない

うん、わかってたけど、変化しすぎて周りにも理解できてなかったようで
結果、俺が動き回ったことでみんなをハラハラさせてしもてた。

ただ、スッキリしたらどんだけ元気で良いエネルギーの使い方できるんやってなってるので
もう今後はそういうことがないように気をつけよう。

週末は淡路島やし、色んな答え合わせもできるでしょう。

何よりもやっぱ過程が大事やったわ、結果はどーでもええ。
ついてくる結果は。

出雲大社のあと

生と死に関しての気づきをもらって、色々考えてたら、体調を崩した。
微熱と言えないほどの微熱なのにとにかくだるくて、思考レベルが低かった。

順調なほど、引き寄せが続いてるんだけど、こんな時に体調崩すか・・・。
生と死のことが半端なく大きなことだったんだろうか、とか考えてるけど
気づいては身につけての繰り返しを続けていくだけなのかと。

昨日だいぶマシになったけど、また今日はしんどかったな
明日で復活すると思いつつ、早く寝ましょう。。。

住職のお話
「どんと構えておけ」「仕事でまだぶれている」
「どんと構えておけ」・・・ですよねぇー
「仕事でまだぶれている」・・・あともうちょっと
以上!

出雲大社の帰りの車での話

◯大前提:不快という感覚は、本来「死」を回避するための恐怖のような感覚であり、一般社会で生きている上では、命に関わることがほとんどないので本来感じる必要がない。

例:鳩が「命の危険=不快」と思ったときに「本能のまま」距離を取り、ある一定の距離になった瞬間、緊張を解くように、命に関わる事以外は「不快」という反応を示さなくて良い。なんなら、驚かした程度では「命の危険=不快」がないと判断し、気にしない鳩もいる。「不快」とは本来そういうものである。

1,思考という名の辞書
人の場合、「押し付けられた教育」「嫌な思い出」「トラウマにしてしまった記憶」「TPOに合わせた社会性」などなど、自分の中に過去の経験から「思考という名の辞書」を作り上げ、本能のままの「不快=命の危険がある」ものを「不快=思考の上で気分が嫌なもの」としてしまっている。

(同様に、本来「命の危険=不快」であるにもかかわらず、「快」の「辞書」を作り上げ「快=思考の上で気分が楽なもの」として考えて「命の危険」を犯すことがある。)

そうなると、本来、命の危険がない出来事であっても、嫌な経験はすべて「不快」な出来事としてしまう。

2、過去と未来の関係性

「過去が未来を作っているのではなく、未来がやってくると考える。」と、りょうすけさんは言うたけど、「過去・未来」論は様々あり、どの論点のことを言ってるのかさっぱりわからず、意味がわからない、腑に落ちないと聞き直すと
「これは理解するのではなく、そういうものである。」と。

その後、話してて次のように理解しました。

なぜ未来がやってくるのか。
嫌な気持ちになる何かが起きた時、そのことをクリア・解消せずに先送りにすることで、再度同じような出来事が起きる。

ちょっとここで、なぜ僕がりょうすけさんとこの話しをすることになったかを書きます。
スピリチュアルと呼ばれる経験の中から、少しずつ自分を理解し、一つ一つ紐をほどくように、自分とうまく付き合えていたところでとても嫌な気持ちになることがありました。
それは本当にとてもドロドロとしていて「こいつには負けたくない、こいつより上に立ちたい、押さえつけたい、俺がこいつより前になって周りへの悪い影響を止めなければ!」となってしまい、普段しなくてよくなった背伸びをして、いい格好をしよう、俺のほうがお前より強いんだ!という気持ちで言葉を発してしまい。
後になり、なぜこんな風に対応してしまったんだろうと、自問自答していました。

1度目は勉強会での発言者に対し、
2度目は仕事の打ち合わせしていた人に対し、

1度目は自分が間違っていないと思っていた。
2度目は「ん?これは何かがおかしいぞ!なんでこんなことになってるんや。」と感じ、その後、りょうすけさんと話した時にこれか!となったわけです。

勉強会の時に、クリア・解消しないまま、というかその時は問題であることも気づいてもなかったので、次の打ち合わせで同じような未来がやってきたんです。

今現在、手元に飛んできたボールを気付かずに未来に放り投げていたんです、未来はまるでベルトコンベアの用に、今の自分に対して、出来事というボールを運んでくるだけ・・・。

勉強会の時、クリア・解消していれば、もう同じような気持ちになることもなくなり、打ち合わせでの嫌な気持ちになったり、自分が無理をする・本当の自分でないことをしなくて済んだんだって・・・。

3,イライラキャッチボール
ボールの話から、キャッチボールの話がちょっとだけ出てました。
お互い100%出せる同士のイライラキャッチボールなら、しっかりと不快であることを言い合って、100%が90%となりどんどん減らして行けるそうです。
そうか!そうか!相手はそう思ってたんやなっていう感じで、本気で喧嘩したら逆に仲良くなる。そんな感じやなーと。

でも、よほどタイミングがいい時でないと、家族やパートナー・親友ですらそんな風になれる時って少ないのに、ましてや、その他の人たちとぶつけ合うなんて出来ひんなーと。

4、どうなれば、どうしたらいいのか。
ほとんどの場合、普段感じている「不快」はぶつけ合うことなど出来なくて、「思考という名の辞書」を使い、未来の自分に投げつけてしまっている。

なので、これを止めなければいつまで経っても変わらない。
クリア・解消することを意識していけば、「不快=思考の上で気分が嫌なもの」が減っていき「快」が大多数を占めていく。

りょうすけさん曰く
「命に関わらない不快を感じた時、深呼吸をする、そして呼吸に合わせて頭の中でスーーーッハーーーって文字にして考えて、一度思考を止める。
そして、今起きていることは命に関わることなのか自問自答する。
そうでないと判断したら、笑顔を作る。それを繰り返す。」

この「笑顔作る」はりょうすけさんパターンであって、みんなそれぞれ合うものを見つけてくれたらいいと、見つけるのが難しかったらチョコレート食べたり、好きな匂い嗅ぐのでもいいって言ってました。
また、「そうしたら不快は消えるの?」って聞いたら
「消えることはなくて、上書きや上塗りに近い感じ、社会性の辞書がいる時もあるので、他の選択肢としてもっておくことが必要。」
と言うてました。

たぶん、命に関わらない「不快」の辞書はいらない、すべてを「快」にすればええって話やなーと

5、最後に
1度目は勉強会では気付かなかった。
2度目は仕事の打ち合わせでは気が付いた。

この自分の変化の過程を見ていて・・・・
最初に、自分の中にある善・悪や男・女や陰・陽も含め「ゆらぎ」を見つめることが出来たこと、「気づき」与えてもらい、「ゆらぎ」があっていいんやでーって知れたこと。

それが少しずつ身につくと、自分の中の「ゆらぎ」でええことと、自分が未来に投げてしまっていたこと、つまり、自分の中の事と他者との関係性の事との切り分けがはっきりと目の前にあらわれました。

色んな自己啓発本や偉い人が
「周りを変えるのではなくて、自分が変わる、自分が変われば世界が変わる」
と、簡単にいうてて意味がわからんかったけど、理解というか、腑に落ちました。
これが本当の「周りを変えるのではなくて、自分が変わる、自分が変われば世界が変わる」
ということなんだろうと・・・。

そして、それを知るには、自分を知ることがスタートやったんやなーと。

あとは日々実践あるのみ!

以上、長文しつれいしました。

飲まないとやってられんって、若い時からひたすらよー飲んでたw
それに体も付き合ってくれた。

さすがにねぇー、もう年齢とともにちょっと体が悲鳴あげてたから、
珍しく3日酒抜いて、無性に飲みたくて飲んだんやけど
結果。。。

日々の暮らしをお酒で感性高めて、答え合わせ
共感してもらえる人と飲んで、答え合わせ
少しずれてても、アルコールの勢いで、答え合わせ
俺間違ってないよね、あんた間違ってないよねーってね

飲んだら答えは出て来るが、普段になれば普段の生活してるわけで
普段の生活によーた時の話を落とし込めなかったなぁーってね

まぁ、今の今もそうしてるけど、
それがわかっただけでも、良し

そして、やっぱり、
酔わなくても酔ってできる、感じるくらいのことせんと気持ちよく生きれないね!

1こだけ、全然別の話
俺が未熟なのもわかるが、相手せんでええやつは相手せんでええと思う。
相手も未熟なんやしな

出来たことがでっきなーい

企業勤めしていた時、社会人ならこーしなきゃいけないとか、こーあるべきだって考えて仕事していた。

でも、そんな風に決めつけていると、自分よりも出来る人と話すと見上げて
「さらにこうならなきゃ!」って
自分よりも出来ない人をみると、見下げて
「こうしなあかんやろ!」って

息苦しくやってたなーってホント思う。。。
でも、自分を縛っていた分、盲目的に嫌なことも細かいことも出来てたんよねー

で、一人で始めてもうすぐ3年近くになるけど、
できひんのよ、やりたいくない事、めんどくさい事がwww
生きてたらやらなきゃいけないことも沢山あるのになっかなかできひん。

1つだけ感覚として違うのは、ちゃんとやりたくないと思うことを
ちゃんと頑張ってやっている感はある。盲目的ではないかな、
自分のこと理解した上でどうしていくか。
色々がチャレンジやわ。

始動、起動、開始、スタート・・・なんでもええわw

何年か越しにブログを再開してみます。
再開が正しくはなく、はじまりなのだろうということで開始

もう何も思わなくなったし、特に考えることもなくなった。

言葉って面白いもんで、毎日考えて、思ってるけど、そういうのとは全然違う話。

生きてきてずっと自分探しをずっとしてきたけど、
そういうことを考えたり、あの時やその時の今に感じたことを思い出して
あーだこーだすることがなくなった。
記録として残そうと思って、今振り返ってはみてるけど、空気のようにあえて感じようとしないと
わからないくらい、体の一部になった。

流れ・・・
今の仕事のパートナーと再会する
そのパートナーのパートナーに出会う
その方に心の蓋を少しあけてもらう
やっと心と体がつながる気がして・・動き出した。。。

人を紹介してもらって会いにいった。
そしたら、すぐに他の人を紹介してもらった。
またすぐに会いにいった。
そしたら具体的に答え合わせが始まった。
40年近く生きてきて、なぜ自分はこーなのか、答えをもらっていった。

もっと答えが欲しくて、さっさと終わらせたくて
色んな方に会い、これやー!ってなるものがあって
それしてもらいまくったら・・・・もーどうでもよくなったw

今日、あれ?俺、自分探しどうでも良くなってね?って、気づいたら
仕事がすげー忙しくなってた。

そういうことねって、そういうことの意味がやっとわかった。
なので、ここからがスタート!

第一部の幕が閉じ、第二部が始まるようです。
良い物語になるよう、そう出来るようやっていきまっせー!